こんにちは。天邪鬼な性格のコンサルタント中井です。
グローバルとダイバーシティ・・・?
今日、インターネットの普及により遠く離れた国と国、人と人同士がより簡単に接続されるようになり、市場の「グローバリゼーション」は加速度的に進歩しました。これにより、いずれの国、いずれの地域においても、消費者の多種多様な幅広い要求に応えていく必要が生じてきたのです。
グローバル化の波に乗り損ねた企業は、それらの要求に応えることができずに倒産、新自由主義の必然たる結果をもたらしています。
そのような状況下だからこそ、人々は勝者となるべくさらなる個々の繁栄を目指して、市場の要求に応えようと必死でもがいてきました。
それは、国や地域だけでなく、人種や性別、年齢などの多種多様な価値観を生み、やがて、「ダイバーシティ」と言われる取り組みに発展していきます。
確か2005年くらいだったでしょうか?「グローバル」「ダイバーシティ」という2つ言葉が頻繁に囁かれはじめたのは。いずれも、さらりと口にすることができるカタカナ語ではあるけれども、その軽い響きに反して、実行するには相当な困難を伴う改革が必要となります。とりわけ我々日本人にとっては・・・
なんでかって?簡単です。「グローバル」「ダイバーシティ」を生活の標準としてきた世界の国々と、日本人の歴史にあまりにも差があるからです。
どのくらいの差があるか?・・・今から遡ること165年前の西暦1853年・・・かの有名なアメリカ人のペリーが浦賀に来航して開国を迫りました。翌年に交わした日米和親条約により日本は開国。その後、1858年に結んだ日米修好通商条約により、江戸時代より215年続けた鎖国政策は終焉を迎えました。
それまでも、一部の国(オランダや中国、朝鮮など)との限定的な貿易はありました。しかし、ペリーの来航は比較にならない大きな変革をもたらしました。
これ、遥か昔のようにも感じますが・・・先にも述べたように、実はまだ開国から165年しか経っていません。
グローバルキャリア165年の日本と、世界の国々を見比べてみると・・・
約2500年前、ギリシャとペルシアが争っていた紀元前500年頃。ヨーロッパや中東では、「都市国家」間での交易が盛んに行われています。さらに、さまざまな人種や考え方、文化があるので国家間での衝突なんてのも当たり前の日常。
もうこの時代から、国家間で交易と争いが起こっていたわけです。ちなみに日本はこの頃、弥生時代です。
時は巡って、今から550~350年前頃の中世大航海時代以降、列強国が植民地政策を推し進めました。結果、国と国の垣根が取り払われ、人種もごちゃ混ぜ、グローバルや多様性なるものが必然的に生まれてきました。
よって、「グローバル」「多様性」の認識自体は、彼ら(広義の)アングロサクソン人のDNAに、歴史とともに刻みこまれてきたんだと思います。
ヨーロッパや中東の古い文献を見ても、伝統や文化だけでなく、他国との争いに打ち勝つ戦史がたびたび登場します。国家間の関係性の濃さが反映された結果でしょう。対して我が国の神話や古文書に、他国との関わりあいの具体的な記述はほとんど見当たりません。
さらに島国という地理的条件もあり、侵略されることもなく現存する世界最古の国家と成り得たわけです。
以上のことから、異なる文化を有する人との関わりを積極的に行わなかった(行えなかった)民族性が我々のDNAに刻まれているという仮説が成り立ちます。
欧米の前にアジアから始めよう
ヨーロッパや中東では2500年以上も前から国家間での交易や争いがありました。一方、日本は開国してからまだたったの165年です。どう見てもまだまだひよっ子としか思えませんよね?
国家間での関わり方という意味において、積み上げてきた歴史には圧倒的な差があり、その差が「グローバリズム」「ダイバーシティ」の実行力や寛容性、認識の差として表われているわけです。
もちろん2500年分、丸々差が開いているわけではありませんが、新自由主義経済を勝ち抜くため世界で戦う力を日本が有しているかと問われれば、一部を除いて「国家として世界と戦う競争力は残念ながら低い」と言わざるを得ません。
「グローバリズム= 欧米との融和を図り親和性を高めること」
「ダイバーシティ= 欧米人を仲間とした働く人の多様性」
こうした意味の捉え方が日本人の一般的な認識になりつつあるようですが、じゃあその「グローバリズム」と「ダイバーシティ」で何するの?って聞いても明確な解答は得られません。「日本を飛び出て世界に行くぞ!」など、「アメリカに行ってビッグになってやる」という、どこぞのお笑い芸人みたいな答えしか返ってきません。
具体的な解決策に至らないことがほとんど。よって「グローバリズム」と「ダイバーシティ」を“欧米との融和”と捉え、それに基づく戦略と位置づけると、最初に述べたとおり、我々日本人には実現困難な問題が浮かび上がってきます。じゃあどうしたらいいのか?
中世~近世の列強国(イギリス・オランダ・スペイン・ポルトガル・アメリカなど)だって、国益に叶う経済活動を世界に広げていくために、いきなり全世界を目指したりはしませんでした。まずは国内や近場の国々から始めて、やがて世界を股にかけるようになっていったのです。(植民地政策を肯定しているわけではありません)
インターネットの普及により(仮想的な)国と国、人と人の距離が縮まったとはいえ、極東に位置する日本がいきなりアジアを飛び越えて、中東~ヨーロッパ、太平洋を横断してアメリカなどと強引な融和をすすめても、マーケットでの優位性を得ることは到底できないでしょう。足元がおぼつかないのに、遠くにジャンプなんかできません!
よって、共通の文化圏でもあるアジアの国々と、今日以上のアジア経済圏を築きあげ、その繁栄を元に世界と相対するべきなのです。
アメリカやヨーロッパ諸国に勝てなくてもいいんです。一目置かれる存在にさえなれば、世界的なマーケットシェアの獲得チャンスがきっと巡ってくるはず。
一方で、ヨーロッパやアメリカに嫌われてもいけません。誰だって嫌われたくないですから。それは双方にとって国益に適ったものではありません。
困難多き茨の道ですが、要するに「アメリカやヨーロッパのヘソを曲げないよう、アジアの国々はともに協力して繁栄させようね」ってこと。ハッキリ言って、今まではこれが不可能でした。アイツら強すぎ。だって歴史と国力に圧倒的な差があるから。
けれども、4000年の歴史を持つ中国の台頭によって、決して実現不可能ではなくなってきました。日本と中国、そもそも政治思想や民族意識が違うのでわかり合うことができるかどうか難しいところですが、「グローバリズム」と「ダイバーシティ」が必要とされる今の経済戦争に打ち勝つためには、2国の協力・共存が必須かと思われます。
前フリが相当長くなりましたが、言いたいことはただ一つ。
「いい加減に欧米かぶれはヤメロってこと(笑)」
(便宜上、欧米と書き連ねてきましたが・・・そもそもアメリカとヨーロッパ諸国ではあらゆる面で性質がまったく違うし)
~閑話休題~
実は我々が行う日々の仕事も、いきなりドカーン!とはいかないわけです。まずは身の回りを整理して力をつけて、近しいたくさんの人の協力を得て、然るべき戦闘体制を築いてからスタートします。巨大な敵と戦うために基礎体力をせっせと作り上げるのです。これがすべての始まりです。MBA(Master of Business Administration)なんていりません。あらゆることの基礎を徹底的に磨くこと。
「会社を成長させたい!」
「自分が成長したい!」
こんな願望がある方、答えは簡単です。群雄割拠する世界と言う舞台で競り勝たなくてはいけない日本と一緒。何度も申しあげますが・・・基礎です基礎!
これさえ守ればうまくいく可能性が高まるのに、なんですっ飛ばして先行くのかなぁ・・・?と、この仕事をしていてよく思うのです。