【自らを疑え!】歴史の深遠に思いをはせつつ人はいつから大人になるかを考える

こんにちは。天邪鬼な性格のコンサルタント中井です。

大人と子供の境界線

以前、こんなことを考えたことがあります。「いったいぜんたいいつから大人になったんだ?」って。なぜこんなことを思いついたのかはわかりませんが、ひとまず大人と子供を定義することからはじめてみました。

その定義、いろいろと頭に浮かんできますが、全部摘み取るとそれぞれが20~30個にも上るのでシンプルにたった一つに絞ります。

「大人の定義」
◎子供=自分がやりたいことをする
◎大人=周りが望むことをする
(私の場合)

考えに考え抜いて定義が定まりました。次に、なぜ大人は周りが望むことをしはじめたのかについて考えてみます。

壮大に人類誕生まで遡ってみましょう。我々と祖先を同じくするチンパンジーと進化の枝分かれをして、直立二足歩行をはじめた人類(猿人と呼ばれます)の誕生が700万年前。とてつもなく昔過ぎて、想像の域を遥かに超えた大昔ですね。

猿人からはじまり、環境適応能力の獲得や突然変異を繰り返しながら「原人」「旧人」へと進化。「新人」といわれる我々ホモ・サピエンスに進化したのがおおよそ20万年前です。(諸説あります)

700万年前に誕生した人類の祖先は、木の実や果物の採集、動物などの狩猟によって生活を営んでいました。

そして現代に少し近づいた、今から1万年前に人類の生活を大きく変える出来事が起こりました。それは「農業革命」、すなわち農耕のはじまりです。

何かの種からたまたま実がなったのかどうかはわかりませんが、とにかく699万年間に渡って採集や狩猟で食料を手に入れていた人類が、農業をすることによって食料を手に入れることができるようになったのです。

狩猟と違い、農作物は長期に渡って蓄えることができるので、ここで人類史上はじめて「財産」と呼ばれるものが生まれました。(同時に、財産の争奪を目的とした大規模なサピエンス同士の同種間争いが起こり、支配者と被支配者の格差が生まれたのも残念ながらこのタイミングです)

周りが望むことをする

男性は農耕作業、女性は子守や料理というように、それぞれの役割を担いはじめました。(狩猟生活では、ここまで明確に役割が分かれていなかったようです)

さて、お気づきの方はいますか!?
まさにこの役割分担こそが、先に挙げた「◎大人=周りが望むことをする」起源となっているのです。

  • 男性=女性から、食料の生産を望まれている
  • 女性=男性から、料理を作ったり子守をすることを望まれている

お互いが生き抜くための役割分担をした結果、それぞれの生命活動が維持されました。裏を返せば、お互いが望まないことを行うのは愚かであるということ。

万が一、大多数がお互いに望んでいないことをしてしまうと、生きていくことのバランスが崩れ、種の繁栄どころか、その集団はたちまち絶滅していしまいます。

人のためになること

よって、現代に話を戻してみても、「◎大人=周りが望むことをする」というのは、理にかなった生命維持活動なのです。

子供は、肉体的にも精神的にも大人ほどの生産力を持ち合わせていません。だからこそ、大人は周りが望むことをする必要があると結論づけたわけです。

ここまでくると、最初の問いである「いったいいつから大人になったんだ?」など、すでにどうでもよくなってしまい、周りが望むことをする、言い換えれば「人のためになることをする」に主題が変わってしまいました。

さらに、「人のためになること」は決して一つではありません。それぞれが「たくさんのお互いのためになること」をし続けなければならないのです。

時として誤ちを犯すこともあるでしょう。でも、誤ちをそのままにしてははいけません。だって生きていくことができなくなる可能性があるんですから。誤ちを認識して正しい方向へ進むための軌道修正が必要です。

現代人に置き換えてみても、軌道修正が必要なことに変わりはないはずです。1万年前と現代では文明や生活様式は違えど、「人のためになること」こそが生命活動維持の根源なのは同じだからです。

自らを疑え!

現代においては・・・1万年前に比べて人類の思考能力は飛躍的に向上しています。それは頭が良くなったってこと。良くなった頭を使えば、寿命を伸ばしたり繁栄力を高めたりすることができるはず。よって、時として、

「これ、本当に人のためになっているか?」
「これ、本当に周りが望んでいるのか?」

このような疑いを持つことが大切。誤ちを自身で気づいて軌道修正できれば、より人のためになることは間違いなく、我々ホモ・サピエンスにさらなる繁栄をもたらします。

具体的には、もっと長生きできたり、生き生きと人生を送って楽しく過ごしたりと、日々の生活がより豊かになるはず。

さらに、「自分を疑うこと」とは、「自分のしていることが正しく、人のためになっているかどうかの根拠」を持つためにも必要です。

疑ってみて正しいと思えば突き進み、誤っていると気づいたら軌道修正をしましょう。

正しさの根拠を得たら、それを信念に変えて突き進むだけ。それが、あなたとあなた以外のすべての人のためになるはずです、きっと。そうやって1万年も、いえいえ700万年もの間、生存競争に勝ち抜いてきたんですから。

車が走ったとか、インターネットがどうとか、AIがどうとか、たかがここ数十年で起こった出来事よりも、何万年も続いてきた歴史にこそ、人類の本当の営みが隠されていると思うと・・・なんだかワクワク。

て、ことで・・・人のためになる「何か」をしよかなっと!

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